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人物

玉城デニーはハーフじゃなくてクオーター!父はアメリカ人で母がハーフ





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2022年9月の沖縄県知事選挙で再選を果たした玉城(たまき)デニー知事(62)。

一見ハーフのように見えますが、実は母がハーフであって、玉城デニーさんはクオーターなのです。

玉城デニーさんの父親や母親はどんな方で、玉城デニーさんはどんな幼少期を過ごしたのでしょうか?

そこで今回の記事では、

  • 玉城デニーはハーフじゃなくてクオーター
  • 玉城デニーの経歴は?
  • 玉城デニーはどんな学歴?

について紹介していきます。





玉城デニーはハーフ?

玉城デニー知事は、父親がアメリカ人、母親がハーフのクオーターです。

1959年10月13日にまだ沖縄がアメリカの統治下にあった沖縄県うるま市で誕生しました。

母のヨシさんも沖縄県伊江島出身ですが、アメリカ人とアジア人の間に産まれたハーフです。

玉城デニーと母のヨシ

玉城デニーさんは、お顔立ちもくっきりされ瞳もブルーで美形ですよね。

これは、アメリカ人の血がより濃く入っているためなのではないでしょうか。

沖縄に駐留していた米兵の父親は、玉城デニーさんが生まれる前にアメリカへの帰還命令が出て帰国してしまいました。

なので、玉城デニーさんは父親に会ったことがありません。

大人になってから父を探しに渡米しようと考えたこともあったそうですが「生きていればそのうちに会えるさ」と思い直し、父親を探すのをやめました。

玉城デニーは母親が2人いる?!

玉城デニーさんは、本名を玉城康裕(たまきやすひろ)と言います。

もともと出生児はデニスという名前だったのですが、10歳の時に本名を”康裕”に変更しました。

母親のヨシさんは夫を追ってアメリカに渡るつもりだったため息子にデニスと名付けましたが、アメリカに渡るのを諦めたためデニスから康裕に改名したのです。

パグくん

デニーはデニスだった頃の愛称なんだね!

シングルマザーだったヨシさんは生活費を稼ぐため、玉城デニーさんを知人の知花カツさんに預け単身で辺野古に渡り飲食店の住み込みで働きます。

そのため、玉城デニーさんは2歳から10歳まで里親であるカツさんに育てられました。

玉城デニーさんは実の母のヨシさんのことを「アンマー」、育ての母のカツさんのことを「おっかあ」と呼んで2人とも敬愛しています。

玉城デニーさんは幼少期、父親がいない苦しい生活を送りましたが2人の母の愛に支えられたくましく成長したのです。

玉城デニー(幼少期)と育ての母の知花カツ

また、玉城デニーさんはハーフであったためにいじめられることもありました。

心無い友人や、大人たちが見た目の違いをからかったのです。

そんな時、育ての親のカツさんは、

「トゥーヌィービヤ、ユヌタキヤネーランド」(10本の指に同じ高さはない、みんな違うからいいんだよ)

と、悲しむ玉城デニーさんを優しくなぐさめるのでした。

その経験が、多様性を重んじる玉城デニーさんの政治信条の源になっています。

玉城デニーの心に焼きついたコザ騒動

玉城デニーさんが10歳の時に実の母のヨシさんと再び暮らし始めます。

2人はゴザ(現在の沖縄市)に移り住みました。

ゴザは嘉手納基地の近くにあり、アメリカ軍の兵士たちが行き交う繁華街です。

玉城デニーさんが11歳の時、ゴザでアメリカ軍の車両や施設を焼き討ちする暴動が起こります。(1970年12月:ゴザ騒動発生)

1970年コザ騒動

アメリカ軍人が日本人を車でひいた交通事故が原因で、それまでアメリカ軍の統治下で抑圧されていた沖縄の人たちの不満が一気に爆発したのです。

ゴザの街が炎で赤く染まる光景を目の当たりにした玉城デニーさんは衝撃を受けました。

その記憶は成長するにつれて、「自分は沖縄に人権や自由を取り戻すため闘わなければならない!」という気持ちに変わっていったのです。

玉城デニーと玉城ティナは親子なの?

パグくん

玉城ティナちゃんってもしかして娘?

玉城デニーさんと女優の玉城ティナさんは、少しお顔立ちが似ていて2人とも沖縄出身のハーフであることから「親子では?」と、うわさがありました。

玉城ティナ

しかし、玉城ティナさんの父親はアメリカ人、母親は日本人であることからこのうわさは真実でないことが判明

そもそも、玉城(たましろ)ティナさんとは名字の漢字が一緒でも読み方が違います。

しかし、玉城デニーさんが男前であったためにこのようなうわさが立ったのでしょう。

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玉城デニーの経歴

玉城デニーさんは次のような経歴をお持ちです。

  • 1977年 上智社会福祉専門学校入学
    卒業後、福祉関連の臨時職員、インテリア内装業、音響関連の会社に従事する
  • 1989年 ラジオパーソナリティを始める
  • 2002年 沖縄市議会議員立候補、トップ当選
  • 2005年 衆議院議員選挙に立候補、落選
  • 2009年 衆議院議員選挙立候補、当選
    (2009年〜2018年まで衆議院議員を4期務める)
  • 2018年 沖縄県知事選挙立候補、当選
  • 2022年 沖縄県知事選挙立候補、再選

この20年間で、沖縄の議員から知事になっていったことがわかりますね。

さっそく、詳しく見ていきましょう!

若い頃はラジオDJだった

ラジオDJ時代の玉城デニー

玉城デニーさんは若い頃とても美しい青年で、ラジオDJやタレント活動をしていました。

30歳の時にラジオDJの活動を始め、琉球ラジオ(現在のRBCiラジオ)で「ふれあいパレット」というラジオ番組でパーソナリティを務めました。

さらに38歳の時には、沖縄FMコミュニティ放送「OKINAWAミュージックタペストリー」で、総合プロデューサー兼パーソナリティをしながらイベントの司会もこなしたのです。

ラジオ番組では地元に密着した話題で多くの沖縄県民から愛され、特に高齢の方から絶大な人気がありました。

パグくん

もともと沖縄で有名な人だったんだ

玉城デニーは元衆議院議員だった

玉城デニーさん(右から2番目)

玉城デニーさんは、ラジオDJ時代の2001年に翌年の沖縄市長選挙への立候補を促されますが、その情報が新聞社に漏れてしまい記事になってしまいます。

その記事が騒ぎになり、翌日からラジオ番組が打ち切りになって職を失ってしまいました。

失意の玉城デニーさんは、「それでも沖縄のために働きたい」と思いなおし、翌年の2002年沖縄市議会議員選挙に立候補してトップ当選を果たします。

その後、沖縄市会議員在任中だった2005年に市議会議員を辞職し、民主党の公認を受け衆議院選挙に沖縄3区から立候補しました。

しかし、この選挙では得票率3位で落選してしまいます。

2009年に玉城デニーさんは次の衆議院選挙に再び立候補し、自民党の前職を破って当選を果たしました。

さらに、2012年、2014年、2017年の衆議院選挙で当選し衆議院議員を4期務めています。

故・翁長前知事の遺志を継ぎ沖縄県知事へ

2018年に、沖縄県知事だった翁長雄志(おながたけし)さんが亡くなります。

この時沖縄は、普天間基地から辺野古への基地移設問題で揺れていました。

翁長さんは普天間基地の閉鎖、県内移設反対を打ち出し、辺野古に新しい基地を作らせないと公約していました。

しかし、翁長さんは病に倒れ亡くなってしまうのです。

そこで翁長さんが生前、後継者に指名していた玉城デニーさん任期途中に衆議院議員を辞め、沖縄県知事選挙に立候補することになリました。

玉城デニーさんはこの選挙で、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を訴え当選したのです。

玉城デニー、フジロックで熱唱

2019年フジロックで熱唱する玉城デニー

玉城デニーさんは、県知事に就任後、国がすすめる普天間基地の辺野古周辺への移設に一貫して反対しています。

(沖縄は日本の国土の0.6%ですが、アメリカ軍の専用施設の約70%が存在しています)

玉城デニーさんは沖縄が抱える現状を日本国民みんなで考えてほしいと訴えてきました。

そんな玉城デニーさんは、なんと2019年のフジロックフェスティバルにトークとライブで出演しています。

玉城デニーさんは、フジロックのステージで沖縄の現状と日米地位協定について語り、CCRの名曲をギター演奏とともに熱唱し観客から喝采を浴びました。

パグくん

ロックな政治家だねぇ!!!

玉城デニー「ゼレンスキーです」発言に批判殺到

玉城デニー問題発言

玉城デニーさんは2022年5月25日に米軍基地問題に関する会合が始まる前に「ゼレンスキーです」と挨拶したことで批判が殺到しました。

直後に「すみません、冗談です」と撤回しましたが、戦時下にあるウクライナ大統領の名前を冗談の引き合いに出したことに波紋が広がってしまいました。

その後、ウクライナの駐日大使であるコルスンスキー氏に電話で「発言は軽率で多くの方に不快な気持ちにさせた」と謝罪しましたが、汚点を残す結果となりました。

玉城デニー、濃厚接触者判明後も議会参加続行で陳謝

玉城デニーさんは、2022年6月27日の県議会に出席中、親族がコロナで陽性となり自身が濃厚接触者であることが判明しました。

しかし、そのまま議会の出席を続け、県議会議長から非難を受けます。

さらに、その後コロナの陽性判定を受けてしまったのです。

玉城デニーさんは、県民と議会に陳謝しましたが、この行動はその後の県知事選挙に悪影響を及ぼすのではないかと懸念されました。

パグくん

マイナスな言動が立て続けに起きてしもたな…

玉城デニー沖縄県知事、再選

左:下地幹郎 中:佐喜真淳 右:玉城デニー

2022年9月11日投開票の沖縄知事選挙で玉城デニーさんは2位の佐喜真淳(さきまあつし)さんに6万票以上の差をつけ当選。

この選挙は自民党や公明党が推す佐喜真さんと元衆議院議員の下地幹郎(しもじみきお)さんの三つどもえの闘いでした。

当初、玉城デニーさんは対立候補の佐喜真さんが前回の選挙より勢いがあり再選されない可能性もあるとささやかれていました。

しかし、佐喜真さんは統一教会との関係が報道され一気に風向きが変わり、玉城デニーさんが大差をつけ再選を果たしたのです。

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玉城デニーの学歴

高校時代の玉城デニー

玉城デニーさんは沖縄県知事になるまでにさまざまなことが起きましたが、学歴はどういったものだったのでしょうか?

  • 與那城村教育区與那城小学校
  • 勝連町立勝連第二中学校
  • 沖縄県立前原高等学校
  • 上智社会福祉専門学校(東京)

最終学歴は、福祉の専門学校を卒業されています。

パグくん

意外!有名私大とかじゃないんだ!

東京の専門学校で働きながら福祉を学んだ

ロックバンドで歌う玉城デニー

中学生の時、ディープパープルやブラックサバスなどのイギリスのロックに傾倒し、高校時代はバンドを組みボーカルを担当しました。

顔立ちが洋風だったため英語の歌詞がさぞ似合うのではと思われがちですが、玉城デニーさんはずっと沖縄で育っているので英語はそれほど得意ではなかったようです(笑)

高校卒業後は、東京の上智社会福祉専門学校で学びます。

上智社会福祉専門学校は当時全て夜間コースでした。

玉城デニーさんは、昼間に酒屋で働き、夜に学校で学びました。

さらに授業の後、歌舞伎町のゲームセンターでも働いて学費を稼いでいます。

パグくん

すごいバイタリティだね!ガッツのある政治家だわ

玉城デニーさんは人の役に立つ仕事がしたいという強い志があり、福祉を学ぶために東京で苦学したのでした。

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まとめ|玉城デニーはハーフじゃなくてクオーター!父はアメリカ人で母がハーフ

  • 玉城デニーの父はアメリカ軍の兵士、母は沖縄出身でアジアとアメリカのハーフなのでクオーター
  • 玉城デニーは父親の顔を見たことがない
  • 玉城デニー沖縄のラジオDJや衆議院議員を4期務めた経験がある
  • 玉城デニー東京の専門学校で苦学し福祉を学んだ

2022年9月の沖縄県知事選挙で再選された玉城デニーさんは、沖縄の基地問題の解決や経済の発展のため尽力されています。

沖縄の基地問題は日本の安全保障に大きく関わるため、沖縄と日本を愛する玉城デニーさんの動向がこれからも注目されます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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