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岡田克也の出身高校は偏差値72!市立中学から進学した学歴がすごい

岡田克也の出身高校は?

2022年8月に立憲民主党の幹事長に就任した衆議院議員の岡田克也さん(69)。

東大出身で父親はイオンの創業者、選挙で11回当選と華々しい経歴を持っています。

そんな素晴らしいキャリアの岡田克也さんはどんな少年時代を過ごし、どんな理想を掲げ政治を志したのでしょうか?

そこで今回の記事では、

  • 岡田克也の出身高校はどこ?
  • 岡田克也の学歴は?
  • 岡田克也の経歴は?

以上を徹底解説していきます!

岡田克也の出身高校はどこ?

岡田克也

岡田克也さんの出身高校は、大阪府池田市にある大阪教育大学附属高校池田校舎(偏差値72)。

岡田克也さんは三重県四日市市の生まれで、中学まで市内の公立校に通っていましたが学業優秀だったため、

高校は、実家から100Km以上離れた大阪でトップクラスの進学校に入学しました。

ここに通う生徒の多くは、東大や京大をはじめとする国公立大学や

早稲田、慶応、関関同立(関西学院大学、関西大学、同志社大学、立命館大学)

などの有名私立大学に進学します。

岡田克也さんは高校時代、地元四日市市を離れ大阪教育大学附属高校池田校舎で東大を目指し勉強しました。

大阪教育大学附属高校池田校舎卒の有名人
  • 伊藤銀次(ミュージシャン)
    → 大阪歯科大学歯学部(中退)
  • 丸川珠代(参議院議員・元テレビ朝日アナウンサー)
    → 東京大学経済学部経営学科
  • 牛田茉友(NHKアナウンサー)
    → 大阪大学医学部保健学科
  • 西川りゅうじん(マーケティングコンサルタント)
    →一橋大学経済学部→一橋大学法学部

高校時代の岡田克也

大阪大学附属高校池田校舎

大阪教育大学附属高校池田校舎は制服がなく校則もゆるい学校です。

校訓に自由・自主・自立を掲げて生徒の主体性を重んじています。

文化祭などのイベントは生徒たちが中心となって催され、かなりの盛り上がりです。

中には気を緩め過ぎてしまい、成績をひどく落としてしまう生徒もいるようです。

そんななか、岡田克也さんは自らを強く律し勉学に励んだ結果、東京大学法学部に合格しました。

岡田克也さんはまじめで堅物な政治家というイメージがありますが、この頃から自分に厳しく信念をつらぬく心構えができていたのでしょう。

岡田克也の学歴

岡田克也さんが生まれた四日市市は三重県北部にある街です。

四日市市は県庁所在地ではありませんが、県内で一番人口が多く31万人。

四日市コンビナートで有名な工業都市でもあります。そんな三重県の最も栄えた街で、イオン創業者岡田卓也さんの次男として誕生しました。

  • 三重県四日市市立中部西小学校:1966年卒
  • 三重県四日市市立中部中学校:1969年卒
  • 大阪教育大学附属高等学校池田校舎:1972年卒
  • 東京大学法学部政治学科:1976年卒

岡田克也さんはエリート家系なのに、なぜ市立の小学校に通っていたのでしょうか?

その理由は、岡田克也さんの父親のある考えが背景になりました。

岡田家の教育方針「公立で庶民感覚を学ばせる」

岡田克也の父:岡田卓也

イオングループは総売り上げ8兆7,000億円(2022年2月期)の日本最大の小売業です。

父の卓也さんには岡田克也さんを含め3人の息子がいて、子どもたちに庶民感覚を学ばせるために義務教育までは地元の公立に通わせる教育方針でした。

そのため、岡田家の子供たちは地元の小、中学校で学んでいます。

岡田克也さんにとって幼少期に地元の学校で培った庶民感覚は現在、政治にも生かされています。

岡田克也の兄、弟も市立卒→名門私立大学

岡田家の家族写真(左から昌也さん、卓也さん、元也さん、克也さん)

岡田克也さんの兄弟も、市立の小学校・中学校を卒業されてから有名私大に入学していました。

  • 岡田克也の兄・岡田元也:早稲田大学商学部 卒業
  • 岡田克也の弟・高田昌也:明治大学 卒業

岡田克也さんの兄弟は、政治、経営、報道の各分野で現在も活躍されています。

そんな3人がそろって父・卓也さんの古希のお祝いで、箱根へ家族旅行をされています。

岡田家の3兄弟は父の教育方針のもとで伸び伸びと育てられ、大人になっても仲良くされているのでしょう。

東大時代の岡田克也のエピソード

実は岡田克也さんには、東大時代に先輩の妹をナンパしたエピソードがあります。

当時、岡田克也さんは東大で法律を学んでいました。

その時の司法試験を目指すサークルで一緒だったのが先輩の村上誠一郎衆議院議員(70歳:自民党所属)。

村上誠一郎さんは東大在学中から政治家の秘書を務めながら、愛媛県から衆議院選挙に立候補するために準備を進めていました。

村上誠一郎衆議院議員

岡田克也さんは東大の先輩である村上誠一郎さんの選挙活動を手伝っていました。

そこで、同じく選挙活動に参加していた村上誠一郎さんの妹、多津子さんと知り合います。

岡田克也さんはなんと、先輩の村上誠一郎さんの選挙準備中に妹の多津子さんへ猛アプローチをかけお付き合いしてしまうのです。

あとで、多津子さんの兄である誠一郎さんに「選挙の準備で忙しい時に俺の目を盗んで妹と付き合うなんて許せん」とお叱りを受けたそうです(笑)

堅実なイメージの岡田克也さんですが、「この人」という女性にはなりふり構わず気持ちを伝えてしまうところがあるのですね。

岡田克也の妻も高学歴

岡田克也さんと多津子さんは1982年に結婚。

妻の多津子さんは、東京女子医科大学を卒業された神経内科医です。

岡田克也の妻・多津子

岡田克也さんがイオンの創業者の息子であるのに対し、多津子さんの父も元衆議院議員、祖父は元最高検察庁次長検事という肩書。

さらに先祖は、2014年に本屋大賞を受賞した「村上海賊の娘」(和田竜著:新潮社)にも描かれた戦国時代に瀬戸内海を支配した村上水軍です。

岡田克也さん、多津子さんともに家柄、学歴は申し分ありません。

岡田克也の家族構成

岡田克也さんと妻、多津子さんの間には男の子2人と女の1人の3人の子供がいます。

岡田克也さんは父、卓也さんの教育方針にならって自分の子供たちも地元の公立学校に通わせました。

岡田克也さんは地元四日市市をとても愛しており、国会議員でありながら、子どもの運動会に夫婦そろって参加されています。

女性

優しいお父さんの一面もあるんだね

しかし、そんな地元に密着した生活を送っていた岡田克也さんに悲劇が起こります。

それは、平成の初めの頃、娘が誘拐未遂事件にあってしまったのです!

以降、娘の安全を考慮し塾の行き帰りもタクシーで通わせるほど警戒していました。

岡田克也さんは有名な政治家であり、イオングループの御曹司でもあるのでその娘が狙われてしまったのかもしれません。

岡田克也の経歴

  • 1976年 通産省入省
  • 1988年 通産省退官
  • 1990年 衆議院議員選挙、自民党候補として旧三重1区から出馬、当選
  • 1993年 自民党離党、新生党から衆議院議員選挙立候補、トップ当選
  • 2004年 民主党の代表に就任、同年参議院選挙で自民党を上回る議席を獲得
  • 2005年 郵政民営化選挙で小泉純一郎元総理の自民党に大敗、党代表を辞任
  • 2009年 衆議院議員選挙で民主党が第1党になり政権交代を実現。外務大臣に就任
  • 2012年 衆議院議員選挙で自民党が勝利し民主党は野党に下野
  • 2015年 野党になった民主党の代表に再び就任
  • 2016年 民主党と維新の党が合流した民進党の初代代表に就任するが同年任期満了で退任
  • 2017年 衆議院議員選挙で民進党は希望の党と合流するが党首の小池百合子東京都知事の民進党排除リストに岡田克也の名前があり無所属で立候補、当選
  • 2020年 立憲民主党に参加
  • 2021年 衆議院選挙で11回目の当選
  • 2022年 統一教会の関連組織の世界日報の取材を3回受けたことを謝罪
  • 立憲民主党幹事長に就任

1976年:東大卒業後、通産省へ

岡田克也さんは、国家や社会の役に立つ仕事がしたいという思いがあり東大卒業後、通産省に入省します。

通産省(通商産業省)とは:通商の振興・調整、商鉱工業の合理化、適正化、中小企業の振興、計量、工業所有権、工業標準などに関する事務を担当した国の行政機関。

通産省時代に派遣されたハーバード大学で行政学を学び、政治への問題意識を強く持つようになりました。

1988年に通産省を退職し政治家を志します。

1990年地元四日市市を地盤としていた政治家の引退に伴い、旧三重1区に自民党から立候補して36歳の若さで初当選を果たしました。

93年の総選挙では自民党の派閥政治に嫌気が指し離党。

新生党から出馬してトップ当選しました。

この頃から岡田克也さんは、政権交代可能な二大政党制が必要と訴えています。

民主党政権時代の岡田克也

その後、新進党、国民の声、民政党を経て民主党に参加しました。

岡田克也さんは2004年に党の代表に就任し、その年に行われた参議院選挙で民主党は、自民党を1議席上回る議席数を獲得し躍進します。

しかし、翌年2005年の郵政解散後に行われた総選挙で小泉純一郎元総理が率いる自民党に大敗して、岡田克也さんは党の代表を退きました。

その後、2009年の衆議院選挙で民主党が躍進し与党第1党になり、念願だった政権交代が実現します。

岡田克也さんは民主党政権で外務大臣、副総理を歴任。

政権交代から3年3カ月後の2012年の衆議院選挙では自民党が圧勝し、民主党は再び野党に下がってしまいました。

2015年:岡田克也、崖っぷちからの復活

岡田克也

民主党が野党になってしまった2015年の党代表選挙で、岡田克也さんは再び代表に就任します。

2016年に民主党と維新の党が合流し民進党が結成され初代党代表に就任しましたが、同年の衆議院選挙後に党代表を任期満了で退任しました。

2017年の衆議院選挙で、民進党は小池百合子東京都知事が率いる希望の党に合流します。

しかし、小池百合子さんは一部の民進党議員を切り捨てて選挙を戦うつもりでした。

その排除リストに岡田克也さんの名前があり無所属で立候補を決意したのです。

小池百合子東京都知事

岡田克也さんはその選挙で、2位に圧倒的な差をつけて当選しました。

その後、2020年に新しくできた立憲民主党に参加し、2021年に行われた衆議院選挙で11回目の当選を果たします。

2022年の参議院選挙後に、統一教会の関連組織の世界日報の取材を3回受けていたことが発覚し謝罪しました。

統一教会とのつながりを指摘されるスキャンダルはあったものの、これまでの経験と実績を買われ8月に立憲民主党幹事長就任しています。

まとめ|岡田克也の出身高校は偏差値72!市立中学から進学した学歴がすごい

  • 岡田克也さんは地元四日市を離れ大阪教育大学付属高校池田校舎という超進学校に通った
  • 東大法学部出身だがイオン創業者の父の方針で義務教育は公立に通った
  • 地元三重県で圧倒的に選挙に強い政治家で政権交代可能な二大政党制の実現を目指して活動している

今回は、堅物で知られる岡田克也さんの半生を学歴、経歴を中心に解説してきました。

誠実な人柄で庶民感覚もある岡田克也さんに、日本をもっと良くしてほしいと多くの国民が期待しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。