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蛭間拓哉の父は野球経験者!熱い親子のエピソードや家族構成も紹介

蛭間拓哉の父は?

2022ドラフト会議で、大学No.1野手の呼び声高い蛭間拓哉(22)さん。

早稲田大学に在籍しており、東京六大学リーグの選手の中で、現役最多となる12本のホームランを放ち、堂々の成績を残しています。

ドラフトにおいても、埼玉西武ライオンズが1位指名を公言しており、プロでの活躍が期待される選手の一人です。

そんな実力者の蛭間拓哉さんが成長できたのは、基礎となる小中学校時代に、父のサポートがあったからだとわかりました!

そこで今回の記事は、

  • 蛭間拓哉の父はどんな人?
  • 蛭間拓哉の家族構成
  • 蛭間拓哉の過去の成績

以上を徹底解説していきます!

蛭間拓哉の父は野球経験者?

蛭間拓哉さんのお父さんは、蛭間昌久さんという方です。

蛭間拓哉さんの父の出身校は群馬県立桐生高等学校で、蛭間拓哉さんと同じく高校球児でした!

桐生高校については、下の表になっております。

所在地群馬県桐生市美原町1-39
偏差値62-65
甲子園出場回数26回(春12回、夏14回)

甲子園出場回数は、群馬県ではダントツの数字です!

プロ野球選手の輩出人数は13人と、こちらも多くなっています。

しかし、最後に甲子園に出場したのは1978年のことで、40年近く甲子園からは遠ざかっており、最後にプロ野球選手を輩出したのも1940年のことです。

長く高校野球ファンを続けている方なら知っている古豪、といった感じでしょうか。

蛭間拓哉さんのお父さんの年齢情報がなかったため、甲子園に出場されたかはわかりませんが、群馬県の古豪ということもあり、ひたむきに練習されていたことでしょう。

そしてこの桐生高校のすごさは偏差値の高さです!

野球犬

まさに文武両道といった感じだね!

野球においても、頭を使いながら技術を磨いていたのではないでしょうか!

蛭間拓哉と父のエピソード

野球

そんな文武両道の蛭間拓哉さんのお父さんは、蛭間拓哉さんの練習にとことん付き合い、バッティングフォームの土台を2人で築きあげました!

また、頭を使って野球していたことがわかるエピソードもご紹介します!

父は技術の本を読み、蛭間拓哉へ指導

蛭間拓哉さんと野球の練習をする際、自身の経験のみで教えるのではなく、書籍を読んで、いろんな知識を頭に入れた上で指導していました。

小学生のときに打撃フォームの原型を作ってくれたのが、父親の昌久さんだ。群馬・桐生高校で硬式野球部だった昌久さんは経験に頼らず、技術に関する本を読むなど、自ら勉強しながら教えてくれたという。よく指導されたのが、どっしりと構えること。それは今も意識しており、村上宗隆(東京ヤクルトスワローズ)の構えを参考にしているという。

引用元:4years.

野球を学ぶ姿勢が、高校球児の時から身についていたんですね。

スポーツ業界では、経験則で指導することが多々あると思います。

でもその経験が、その選手に合うかどうかはわかりませんよね。

指導するとなると、間違ったことや中途半端なことは言えないですし、ただ伝えるだけでは理解されないこともあると思います。

蛭間拓哉さんのお父さんも、経験則のみで指導するのはやめようと思われていたんでしょうか。

野球犬

お父さんのひたむきに学ぶ姿勢が、蛭間拓哉さんにも伝わっていたのかもしれないね!

父は蛭間拓哉の練習にとことん付き合う

小・中学校時代には、蛭間拓哉さんと二人三脚で練習し、1人の野球選手として活躍するための基本の力を養っていました!

実家(群馬県桐生市)は織物卸売業を営んでいるんですが、近所にあった知人の工場を室内練習場に改築しまして、使わなくなったネットとマシンを譲っていただき、父(昌久さん)と打ち込んでいました。どっしりしたスタンスで、両目でボールを見る。金本知憲さん(元阪神ほか)の打撃フォームをずっと参考にしていました」

引用元:週刊ベースボールONLINE

マシン付きの室内練習場、めっちゃ豪華ですね!!

室内練習場が完成した小学4年時から、蛭間親子の激アツな練習の日々が始まりました。

蛭間親子の練習メニュー

毎日、夕方6時から9時までバットを握った。
中学時代に在籍した前橋桜ボーイズの練習は水、土、日のため、休日に設定した月曜を除く平日は仕事を終えた父と汗を流した。

ただ、その環境を整えるのももちろんすごいですが、

休日に設定した月曜日以外は、3時間もひたすらバットを振っていたんですね。

蛭間昌久さんも、仕事を終えた後で練習にひたすら付き合うなんて、強い意志がないとできません。

野球犬

身体も疲れていると思うのに、本当にすごいわ!

それだけの練習をしてきたからこそ、今の蛭間拓哉さんの活躍があるんですね!

父と二人三脚で過ごしてきた蛭間拓哉さんですが、お父さん以外の家族構成についても見ていきましょう。

蛭間拓哉の家族構成

蛭間拓哉さんの家族構成としては、

  • 父・昌久
  • 長女
  • 次女

5人家族だということがわかりました!

しかし、お母様と2人のお姉様の情報はありませんでした。

お母様は、野球にひたすらに打ち込む蛭間拓哉さんと父の昌久さんを、献身的にサポートしていたのでしょうね。

夜の9時まで練習ですから、お母様のサポートがないとできないと思います。

陰ながら2人を支えていたお母様にも拍手ですね。

2人のお姉様も、もしかしたら室内練習場で野球をしていたかもしれませんね!

明るくチームの盛り上げ役をする蛭間拓哉さんの兄弟ですから、お姉様2人も明るい方なのでしょう!

蛭間拓哉の過去の成績

蛭間拓哉さん、実は高校時代からドラフト候補選手として注目されていました。

小学生時代から、経過を辿っていきましょう!

ちなみに、現在のプロフィールはこのようになっています。

  • 生年月日:2000年9月8日
  • 身長:176cm
  • 体重:87kg
  • 出身地:群馬県
  • ポジション:外野
  • 投打:左投左打
  • 経歴:桐生市立相生小学校→西武ライオンズジュニア→桐生市立相生中学校(前橋桜ボーイズ)→浦和学院高等学校→早稲田大学

小・中学時代

蛭間拓哉さんは、小学6年生のころ、西武ライオンズジュニアのセレクションに合格し、見事入団しました!

プロ球団のジュニアチームですから、周りも含めすごい選手しかいません!

小学校時代から早くも結果を残していたんですね!

中学時代は、前橋桜ボーイズに入団します。

関東大会で見事優勝し、群馬県代表の切符を手にした前橋桜ボーイズは、ボーイズ春季全国大会に出場しました。

結果は見事初戦を突破し、二回戦まで進んでいます!

野球犬

小、中学時代から全国を経験しているんだ!

蛭間拓哉さんの特徴でもある勝負強いバッティングは、昔から場数を踏んでいることで、落ち着いて打席に入れているからかもしれませんね。

その後、蛭間拓哉さんは、甲子園常連校である高校に進学します。

蛭間拓哉の高校時代

蛭間拓哉さんは、高校は埼玉の強豪・浦和学院高等学校に入学しています。

入学後、1年春から打線の中軸を任されており、4番にも抜擢されています。

1年の春なんて、まだ中学生の雰囲気が残る年齢だと思いますが、強豪校で4番を任されるのは本当にすごいです!

それ以降4番としてチームを支え、ついに、3年夏の100回記念大会で甲子園出場を果たしました!

甲子園の成績

仙台育英(宮城)や二松学舎大附(東東京)という強豪校を倒し、ベスト8の成績を残している。

仙台育英戦では、自身もホームランを放ち、勝利に貢献しました。

大会後は、高校日本代表に選ばれ、副主将としてチームを引っ張っています!

1年生から試合に出ているということで、チームを引っ張らないといけないというプレッシャーは相当あったと思いますが、大きな舞台で結果を残すのは本当にさすがですね!

また、高校通算のホームラン数は28本であり、やはり一般の高校球児とは一線を画している成績を残しています。

その後、ドラフト候補ではありましたが、さらに実力をつけるために名門大学に進むことになります。

蛭間拓哉の現在の大学での成績

蛭間拓哉さんは、大学は早稲田大学に進学しています。

東京六大学リーグでは、2年春と2年秋に、2季連続のホームラン王に輝いています。

また、3年春のシーズンではベストナインに選ばれています。

大学野球の壁にぶち当たった蛭間拓哉さんでしたが、やはり結果を残す男、自分の実力を存分に発揮していますね!

まとめ|蛭間拓哉の父は野球経験者!熱い親子のエピソードや家族構成も紹介

  • 蛭間拓哉さんのバッティングの基礎は、父・蛭間昌久さんとの練習で築かれた
  • 蛭間昌久さんは、自身の経験則だけでなく、本を読んで知識を吸収し、蛭間拓哉さんの指導にあたった
  • 大学までの成績も申し分なし!昔から全国など大きな大会を経験しているからこその勝負強いバッティング

今回は蛭間拓哉さんと、父の蛭間昌久さんについてまとめました。

昔の室内練習場での練習が、今の蛭間拓哉さんの支えになっていることでしょうね。

蛭間昌久さんの全力のサポートがあったからこそ、今の蛭間拓哉さんがいるのかもしれませんね!

ドラフト会議で蛭間拓哉さんが指名されることを、楽しみにしておきましょう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!